【文・写真・資料】
星野裕司
(熊本大学くまもと水循環・減災研究教育センター 教授)
小林一郎
(熊本大学名誉教授)
伊東和彦
(株式会社東京建設コンサルタント九州支社)
平成18(2006)年7月に鹿児島県川内川流域を襲った災害に対する激特事業のうち、曽木の滝分水路の整備に関して景観的な視点からの検討プロセスとその結果、および事業後の取り組みについて星野裕司氏、小林一郎氏、伊東和彦氏によって2020 年にまとめられた報告をLD編集部が編集しお伝えする。なおこの事業は川内川激甚災害対策特別緊急事業として曽木の滝分水路と虎居地区および推込分水路の整備などが行われたが、今号では曽木の滝分水路の改修事業を紹介する。
災害に対する復旧・復興はその土地そのものを再考する大きな機会ともなりうる。復旧・復興に始まる地域づくりにおいても事業後も継続的に取り組まれてこそ意義あるものとなる。曽木の滝分水路も平成23(2011)年の竣工後も、様々な取り組みが持続している。復旧事業での取り組みとその後の継続的な取り組みの関連性を整理することもまた大きな意義をもつものと考える。写真は2012年7月に開催された「曽木はっけんウォーク」の様子。
曽木の滝分水路事業の概要
1. 川内川河川激甚災害対策 特別緊急事業の概要1)
平成18(2006)年7月18日から23日にかけて、鹿児島県の川内川流域で記録的な豪雨が発生した。その被害は床上浸水1,848戸、床下浸水499戸、浸水面積2,777ha、流域住民約5万人に対し避難勧告、避難指示が発令されるほど甚大なものとなった【写真-1】。その後10月4日には、直轄河川激甚災害対策特別緊急事業が採択された。
本稿で報告する曽木の滝分水路事業は、当事業の一環として行われたものである。
2.激特事業に景観検討を導入できた経緯
当事業に景観的視点を導入できた理由に、多自然川づくりの施策の一つとして、平成17(2005)年10月より「激特事業及び災害助成事業等における多自然型川づくりアドバイザー制度」が運用されていたことがあげられる。そのアドバイザーである島谷幸宏教授(九州大学)が、川内川の激特事業においても景観的な配慮を行うべきだという提言を行った。そのポイントは重点地区と一般(標準)部を分けること、重点地区には専門家を派遣することの2点であった。この事業の中でも大規模事業となるさつま町の虎居地区と伊佐市(当時は大口市)の曽木の滝分水路を重点地区として指定し、専門家には虎居地区には島谷教授自ら、曽木の滝分水路には熊本大学チーム(小林・星野)を派遣した。
2006年10月28、29日に開かれた「第6回九州「川」のワークショップ in 川内川」では、島谷教授を進行者とする分科会「防災と川づくり、まちづくりについて」が小林と地元のNPO代表、さつま町長、川内川河川事務所所長をパネラーとして開かれ、「自分たちの心の中の故郷を守りたい」、「景観に配慮した災害復旧が可能ではないか」という議論がなされた。このイベントもこの取り組みの準備活動として位置づけることができる。
3.曽木の滝分水路事業の概要
(1)曽木の滝の概要
伊佐市出身の作家である海音寺潮五郎が昭和47年に書いた大口市歌は、「大口盆地」の成り立ちをモチーフとしている。一部抜粋すると「いとはかなる いにしへは 湖底なりしを 曽木の滝 欠けて流れて なりしとふ 郷なればこそ 野も山も みのりゆたかに 住む人の 心もよしや 桃源の…(中略)2)」とうたわれている。ここにうたわれているように大口盆地は、中生代白亜紀の堆積岩の上に第四紀更新世(約33万年前)の加久藤火砕流堆積物などにおおわれたカルデラ湖が川内川の浸食によって排水され形成されたものであり、その排水箇所が曽木の滝である3)。そのため曽木の滝は大口盆地から渓谷へと変化する中間点となっており、奇岩奇石をともなった景観が広がっている【写真-2】。
曽木の滝は年間30万人の観光客が訪れる伊佐市を代表する観光地である。観光客の多くは桜や紅葉のシーズン、もみじ祭り時の利用客であるが、滝を見て帰る通過型の観光がほとんどである4)。周辺に点在する豊臣秀吉の遺構や江戸時代の川ざらい跡、ダム湖に沈む曽木発電所遺構などと連携し、滞在時間の延伸を促すことが観光の課題として挙げられる。
(2)曽木の滝分水路整備事業の概要
曽木の滝周辺は治水面からみると流下能力のネック箇所となっており、すでに昭和58(1983)年には左岸分水路方式がその解決策として計画されていた。激特事業の一環として行なわれている本事業は平成18年7月出水を対象流量とし、曽木の滝地点3,900m3/sのうち現況流下能力相当の3,700m3/sを現河道で負担し、不足する200m3/sを分派する計画である。
上述した曽木の滝の地形的な成り立ちを踏まえれば、この事業は太古に開いた滝の流下能力を補うためにバイパスを通すということだとも言えるかもしれない。曽木の滝分水路位置図を【図-1】に示す。
設計の検討プロセス
1.検討組織の概要
分水路の掘削によって生じる長大法面が観光地としての滝の景観を崩してしまうのではないかという疑念が生じることは当然であり、昭和58年の計画が実現しなかった理由もこの景観的な課題であった。そこで学識経験者・市長・地元商工会・観光協会の関係者・地域住民の代表者から構成される「曽木の滝分水路景観検討会」(第1回:平成19(2007)年7月10日)が設立された。筆者のうち小林は検討会の座長を務め、星野は事務局の一員として設計から施工まで事業に対する景観的なアドバイスを行った。また伊東はコンサルタントの担当技術者である。
2.コンセプトの設定
第1回の検討会では国交省からの事業説明と検討会設立に伴う委員からの意見聴取が行われた。ここでは平成元(1989)年に計画された分水路形状(河床幅約60m、施工延長約700m、以降「既存計画案」とする)が議論のたたき台として提示された。これに対し分水路下流端護床工の先にあるアユの産卵場に影響は出ないか、分水路の形状が直線的で景観に調和していない、分水路と滝の間に残る中の島を観光的に使えないかといった意見が出された。しかしこの検討会での議論を聞いていた筆者らが危機感を持ったのは、景観という課題を狭義に捉えすぎではないかということであった。つまり観光地である曽木の滝公園から見えなければ良い、見える場合は緑で修景すれば良いという発想が、行政だけではなく地域代表の委員の中にも見られたということである。景観検討の基盤には、その場所をどう使い、どのように自らの暮らしの中に位置づけるのかという議論が不可欠であると考える。そのような共通認識がなければ、景観検討は見た目の欠点を隠すための議論にとどまってしまい、その整備自体が地域の暮らしに何ら貢献しないものとなってしまう危険性がある。
そのような問題意識の中、まず筆者らは滝と分水路を含めた周辺地形を検討会において共有することが重要だと考えた。LPデータ、施工用平面図、国土地理院発行の地形図などを用いて基盤データとしての3DCADを作成し、3Dモデリングマシンによって周辺模型(1/1000)【写真-3】と3Dビューアによる既存計画案のVR【写真-4】を作成した。周辺模型では分水路と周辺の位置関係を把握し、VRでは周辺からの分水路法面の見え方を把握することに用いた。 またこのとき、既存計画案の断面図に落書きしたような断面イメージも作成している【図-2】。これは、景観検討が形の作り方と空間の使い方が一体となっていることを具体的に示すものであり、幼稚な絵ながらも豊かな川遊びを可能とする渓谷のような空間を目指す一つのビジョンを示すことを意図していた。これは滝を眺める観光に加えて遊べる場所として分水路を位置づけることで滞在時間を延ばすという観光的課題等に貢献する可能性を示したものであった。
以上の作業結果を提示した第2回検討会では、既存計画案の長大な法面や無味乾燥な分水路形状などによる曽木の滝周辺景観への強いインパクトが確認され、分水路河床幅に対する疑義や平時は水が流れないことに対する景観上および安心感の問題が指摘されている。この安心感という議論は非常に印象的であった。曽木の滝上流に住む地域住民にとって、曽木の滝は洪水の元凶であった。その脇の分水路に常時水が流れていることを確認できれば、日々の安心感につながるというのである。分水路に水が流れているべきという意見は、魚道やカヌーに活用できないかという意見にも展開して行った。これらの提案自体は縦断等の条件によって不可能なものであったが、この分水路を平時は水の流れない空堀ではなく、常に水の流れている川として考えたいという思いであり、断面スケッチで示した分水路の日常的な価値を高めたいという筆者らが伝えたかったことと同根であったといえよう。また検討会の途中では、周辺模型を囲みながら地域代表より「この場所から曽木の滝が一番美しく見える」など意見が出され、設計を本格化させていくためのWSのような検討会となったことも景観検討は利活用と一体的に考えるものだという認識を共有させることに役立ったと考えている【写真-5】。以上の議論は、後に下記のようなコンセプトとしてまとめられ、「景観カルテ5)」に掲載された。
[事業全体のコンセプト]
景勝地曽木の滝や周辺景観と融合し、地域の魅力となる多目的要素を創出できるような分水路整備を目指す。
【1】周辺景観への配慮(曽木の滝と分水路との一体化)
曽木の滝公園や新曽木大橋等の視点場から曽木の滝と分水路が一体的な景観として見えるように掘削切土面勾配やその形状、法面処理などを検討する。
【2】分水路線形・呑口部形状の検討
周辺の自然環境との調和を図るために、あたかも自然が創り出したかのような川の形状(分水路形状・呑口部形状)を目指し、3次元的に線形を検討する。
【3】多様なアメニティーの創出
平常時の分水路内における「多様な空間の創出」や周辺道路と一体となった「回遊性の創出」などを目指すために、分水路内の空間構成や動線計画を検討する。
【1】は周辺模型の検討によって、【3】は断面イメージの提示によって大まかな了解が得られた。今後のデザイン検討は、【2】をいかに実現していくかであると考えていた。
3.線形の検討
以上のコンセプトに基づき、具体的なデザイン検討がスタートしていった。筆者ら熊本大学チームは、地形の起伏が激しく入り組んでいる対象地の地形を丁寧に読み取り、その起伏を最大限に保存することを基本に激特計画案として図上で河床ラインのA ~ C案を作成した。この3つの河床ラインから既存計画案と同様の5分勾配で機械的に法面を立ち上げたVRを作成する一方、コンサルタントにおいて水理解析を行った。その結果、曽木の滝公園からの法面の見え方が一番小さく、空間的なメリハリもあり、かつ、水理的にも安定的に水が流せるB案が今後の検討のベースとなった【表-1】。その後、図上検討、3DCAD、VR、水理解析をやり取りすることによって、主に平面線形と縦断勾配に関して議論を行い4案ほど検討をバージョンアップさせていった。上述した仮の河床幅最低20mで400m3/s(*)を流す自然な形状を実現するために最も大きく変更したのは、分水路の縦断勾配であった。既存計画案では河床幅60mに対して上流側の計画高水敷高の縦断勾配に近い約1/1400の勾配で流すこととしていたが、河床幅20mと狭めた場合に400m3/sを流すことが可能となる勾配を求めたところ約1/120となったため、その勾配を採用した。
なお、ここで特記しておきたいのは、既存計画案から激特計画案に変更するにあたって3D CADによる土工量算出が有力な後押しになったということである。地形に素直な線形に変更したため当然なことだが、既存計画案より激特計画案の方が土工量が少ない。つまりは、単純計算ではコストダウンにつながる方向だということである。この事実は行政の説明責任において有効であるだけではなく、景観設計=コストアップという皮相な常識を覆すという点でも重要であった6)。
4.空間の検討
平面線形、縦断勾配に関する方針がおおよそ決定したのち、分水路空間の検討へと移行していった。コンセプト【2】の本格的な具体化である。これまで活用してきた3D CADは、見た目としての景観検討と水理解析をつなぐデータベースとして有効であったが、その3次元表現であるVRでは、分水路の内部空間や立ち上がりのある3次元空間の検討には不向きであり、模型を作成する必要があった。しかも第2回検討会(07/10/31)から第3回検討会(08/3/18)までの4 ヶ月半で設計をまとめなければいけないため、検討のスピードを落とさないように効率的に作成する必要があった。
そこで筆者らは。簡易な断面模型(1/500)を作製した【写真-6】。立体模型を“早く・簡単に作る”という目的のため、切り出した断面図を平面図上に立てて並べただけの模型である。しかし景観とは「アイレベルから見た環境の眺め」だとすれば、これで十分だと考えたのである。この模型は予想以上の効果をもたらした。なぜなら水理解析的な視点から見れば、河川とはまさに断面図の連なりとして見られているからである。この簡易な断面模型は、「アイレベルから見る環境の眺め」という景観の本質を表現していると同時に、水理解析的な視点から見た河川を立体として現出させたものとしても機能したのである。景観検討でつくられる一般的な模型は、極端にいえば“キレイ”すぎる。行政やコンサルタントのエンジニアにとってその模型はある意味完成形であり、自らの思考とは別の操作不可能なものとして捉えられることが多いのではないだろうか。しかしこの簡易な断面模型は、河川工学者も景観の専門家も同じように“読む”ことができる。これは両者の円滑なコミュニケーションが必要となった今回のプロジェクトでは大変重要なことであった。
空間の検討において、課題となったポイントは下記の3点である。
a)法面の形状
断面模型によって基準通りの小段の設置は、不自然で人工的な印象を与えることが了解され、できる限り小段を撤去し緩やかなラウンディングを施すことが望ましいという見解で一致した。なお、法面の最終形状は、次年度にまとめられた地質調査結果に基づき地質の境目と小段や管理用通路を合わせ自然な形状を創出するように決定した。また、一部存在するシラス部の安定化方策の詳細については、施工時に検討することとなった。
b)河床の粗度
河床の仕上げ方は分水路のアメニティ(利活用)に大きく影響するが、水理解析的には粗度係数として作用する。当初「水理公式集」記載のぎざぎざで不規則な岩場掘削の粗度係数(n=0.035 ~ 0.050)にあたる0.045を想定していたが、川内川下流で掘削の実績がある轟狭窄部のH18.7出水時の検証粗度が0.035であることを踏まえ、同公式集から平滑で一様な掘削の粗度係数(n=0.025 ~ 0.040)にあたる0.035を採用することとした。これにより計算上の水の流れがスムーズとなり、掘削面積を減少させ、より自由に線形を設定できることとなった。同時にこの方針変更は、分水路の使いやすさを上げるため先述のコンセプト【3】とも合致するものであった。
c)射流への対策
a)法面の形状、b)河床の粗度の検討によって水流と景観の両立を図る案ができつつあったが、次に課題となったのは射流の発生である。分水路空間にメリハリを持たせた激特計画案は、断面形状によっては分水路狭小区間において射流が発生し、跳水現象が起こる可能性があるという水理解析結果も確認された。
それを受けた打ち合わせでは、射流抑制に関して、コンサルタントより狭小区間において6mの拡幅を行なう提案がなされた。実際に激特計画案の断面模型をその場で削りながら拡幅後どのように見えるか検討を行なった。ここで行政の担当者から「狭小部分を削るとせっかくの分水路空間の分節が薄れてしまう」という意見が出された。これは行政から自然に出された“景観的”意見である。先に述べた断面模型がまさに水理と景観を両立し、操作可能なものとして検討させるツールとして機能していたことの証左である。以上の議論から再度不等流計算に基づき検討したところ、空間的分節に最も影響があるNO.8断面を拡幅すると、呑口部での射流を発生させてしまうこと、NO.8断面の拡幅を行わない場合の射流区間は限定的(20m)であり、周辺に民家もないことから許容可能として、最終的な河床ラインを決定していった【図-3】。
以上の検討を通じてまとめられた最終案は、断面模型に粘土を詰めた立体模型として第3回検討会に提示された【写真-7】。分水路の呑口や吐口の処理など周辺との取り合いについては今後の課題となったが、おおむね高評価であった。
施工段階のデザイン検討
1.工程の概要
設計時から課題として引き継がれた法面の安定化や岩掘削の仕上げ方などを中心に、施工時にはつくりながら考えることが必要となる。
施工は、ほぼ中間地点から上下流の2工区に分かれ、仕上げ面まで5m程度残した1次掘削、河床まで数m残して法面を仕上げる2次掘削、すべての仕上げを行う3次掘削の3期に分かれて工事が行われた。それぞれの大まかな工期とほぼ同じ地点から撮影した工事の経過を【図-4】に示す。
2.施工業者とのイメージ共有
試し掘りの様相が強い1次掘削においては、設計時に検討したことを再確認すること、1次掘削で得た様々なデータ(実際の地質の状況や様々な仕上げによって変わる岩盤の表情など)を以降の掘削や最終仕上げの参考にすること、つまりはつくりながら考え続けることを関係者間で共有することが大切だと考えた。そこで筆者らは施工業者に集まってもらい、模型などによって設計の概要を説明する会を持ち作成した粘土模型を施工業者に譲渡した。この模型は施工業者間による安全確認や施工シミュレーションに活用されたそうである。
ここで筆者らが強調したのは、1次掘削の結果は最終形状には残らないが、この段階でどれだけの試行錯誤ができるか、今後の検討に有用なデータが取れるかが非常に大事になってくることであった。その結果、岩盤の仕上げ方には様々な種類を施工してもらい、それらを確認することを通じて、理想的な仕上がり部分を指示することができた【写真-8】。
2次掘削以降は設計断面として施工を拘束するのではなく、岩盤の状況や岩の摂理に従った発破・掘削を行うことで自然な仕上がりを実現して行くこととなった。例えば、左岸を縦断する管理用通路は変化に富んだ幅や勾配を有しているが、岩盤が浅いところは高く、深いところは低くというように岩盤の状況にできるだけ従った結果なである。岩の節理に従った施工を行うという点で、特に筆者らが感心したのは硬質で角ばった岩や不安定に残った岩についてはワイヤーブラシを固定したバックホーのバケットを使用して、撫ぜるような仕上げ方を施工業者が工夫して行ったことであった【写真-9、写真-10】。
なお、本整備の岩掘削量は16万m3にものぼる。これらを全て廃棄するには莫大な経費が必要となり資源の損失である。しかしこの点においては激特事業の同時多発的な特徴が大きく貢献した。もう一つの重点地区である虎居地区では、分水路掘削と河川拡幅によって大規模な護岸工事が必要であったが、曽木の滝分水路で発生した岩を再利用することによって石材の廃棄費と購入費を共に削減しつつ、すべての護岸を石積みで施工することが可能となった7)。
3.法面の仕上げ方に対する検討
設計時から課題として残されたものではあったが、2次掘削に入るにあたって大きな課題となったのは岩盤上に残る土砂法面の安定化であった。この点に対して川内川河川事務所から、いわゆる種子吹き付けのような保護工ではなく将来的には森になるような保護を行いたいとの提案があり、宮崎県綾町の照葉樹林文化推進専門監である河野耕三氏に指導を受けることとなった。
指導内容は、潜在自然植生の考え方に基づき「混植・密植」による森づくりを行うというものであり、具体的には主役の木となるシイやカシ類を中心にツバキ、サザンカ、ツツジなどの中低木12科目23種を1000本/100mの高密度で植樹するということである。混植によって「多層群落の森」を早期に形成し、法面の保全に資するとともに密植による競り合い効果により成長促進と充実した根の生育に期待したものであった。なお、実際の植樹は3次掘削時に行われ、地元の小学生たちのスポーツチームを対象に植樹体験なども行われたそうである8)。施工直後と2017年の様子を【写真-11】に示す.
4.河床や動線など利活用からの検討
以上によって、法面などの空間を形作る部分について検討がなされた。最終的な3次掘削においては、動線や河床のアメニティなど人が使う部分についての仕上げ方の詳細を決定する必要があった。
河床の仕上げ方に対しては、まず熊本大学内で河床の利活用に対する再検討を行った。具体的には分水路の空間的な骨格を踏まえながら、上流部、中流部、下流部に緩やかにゾーニングし、最もアクセスしやすい上流部は多様な年代が遊びやすいように比較的なめらかな河床形状とし、下流に行くにしたがって徐々にゴツゴツ、凸凹させていくことで冒険性も感じることのできるものとした【図-5】。これは、幼児から中高生まで様々な年代の子供たちが遊べるような空間を提案したものである。それに伴ってせせらぎ水路の幅や縦断勾配も広くゆるやかに流れるところから狭く急に流れるところ、分流するところなど様々に変化して行く。なおこのせせらぎ水路の水源に関して、本川からポンプアップすることなども検討されたが、最終的には分水路内に流れ込む農業用水の排水を活用することとした。水量はやや少ないため利活用という点では課題が残るものの、後述するように分水路内の環境を再生することには大きく貢献している。
以上のイメージを、スケッチとともに1/200の模型によって表現し工事現場内で説明することを通して関係者間のイメージ共有を図った【写真-12】。その結果、平面的には2mピッチで行う発破に関してそれぞれの薬莢設置高を20cm間隔で細かく変化させることによって河床イメージの具現化を図っていただき、おおむねイメージ通りの仕上がりを得ることができた。
一方、分水路内には利活用の動線を考慮して左右岸に2箇所づつ石積み階段を設置している。利活用の大まかなイメージを【図-6】に示す。その設置位置は設計時に全体の動線計画から大まかな位置を決め、3次掘削時に岩盤の状況を見ながら石積み護岸(後述)近接部や視覚的に目立たない場所へ設置するとともに、護岸法線を極力変更しないよう配慮している。
本来、森となる法面、岩掘削のみで分水路内が仕上がることが理想であったが、場所によってはH.W.L.より下に土砂が出てきたため石積みで護岸をつくる必要が生じた。また、分水路の呑口には護床工として、吐口には水流を方向づけるために比較的大きな護岸も必要であった。これらの石積みは様々に工夫された自然な渓谷のような景観を壊さないよう神経を配ることが重要であったため、西日本科学技術研究所の福留脩文氏に指導を頂いた。現地法面が比較的水平・垂直に摂理が通っていたため、布積みを基本に角を出して鼻筋がとおる施工をおこなった。
分水路整備の効果
分水路の効果について治水面、利活用面、環境面の3つ側面から整理する。
まず整備本来の目的である治水面に関しては、激特事業竣工直後の平成23(2011)年には川内川流域の一部で平成18(2006)年と同規模の洪水が発生したが、激特事業の効果が発揮され、外水による氾濫被害はほぼ食い止めることができた1)。例えば、平成23年6月16日の洪水時には、曽木の滝分水路上流の森山橋付近において平成18年と比較して最大50cmの水位低下効果が確認されている。 次に利活用面に関して、この整備においては治水上の効果を出すだけではなく、観光や行楽など地域の暮らしの中にしっかり組み込まれてこそ、この場所が価値あるものになると考えていた。そこで施工の最終年度である平成22(2010)年より伊佐市との勉強会を始め、平成23(2011)年3月1日には、曽木の滝周辺活性化検討会を立ち上げた。地元住民や観光協会、NPO、行政などが参加し曽木の滝や分水路だけではなく、明治に建設された発電所の遺構や近年の小水力発電所、歴史的由緒など周辺に存在する様々な資源を連携させ、総合的に地域振興に活かすことを目指したものである。その具体的な成果として、「曽木はっけんウォーク」というイベントがあげられる。これは上述した資源を巡るもので、平成23(2011)年12月11日、平成24(2012)年7月22日、平成26(2014)年10月5日の3度開かれた。このイベントを通して、周辺の資源を発掘・共有できたのみならず、分水路そのものにとっても人がその空間に存在することによって分水路の大きさや迫力をより強く感じることができ、新しい風景を体感することができた【写真-13】。
その後は、観光ボランティアガイドのグループ「伊佐の風9)」の設立を促したり、日本大学の永村景子講師と大口高校のもみじ祭りを舞台とした活動10)などに波及し、現在は曽木地区周辺整備検討会を中心としたかわまちづり事業へと展開している。分水路本体の利活用という点では、2014年以降ウォーキングイベントも開催されておらず、十分な展開を見せていないと言えるが、曽木の滝周辺全体としてみれば分水路整備をきっかけに様々な活動が展開していることは評価できると考える。
一方、人間の利活用とは反対に自然環境は分水路内で豊かに展開している。その実態については、鮫島らの研究11)に詳しい。その研究は分水路完成後わずか1年数ヶ月後の平成24(2012)年8月現在のデータに基づいたものだが、「短期間にもかかわらず曾木分水路の状況はある程度の自然の回復がみられ、環境に配慮した事業として良い評価を得られそうな兆しがみられた。今後、詳細なモニタリング調査と順応的管理により生物多様性に富んださらにレベルの高い生態系の再生が可能である」と評価している。また、出水時の本川からの越流水、上流部の水田排水(せせらぎ水路)、および下流部の山林からの清流、これらの水の流入は生態系の回復に大きく貢献していると述べられている。
また、国交省において行われている河川環境影響調査は、工事前調査(平成19 ~ 20年度)、工事中・後のモニタリング調査(平成21 ~ 26年度)、および呑口部の再整備後の平成30年度、令和元年度に実施されている。最新の令和元年度の結果の概要を紹介するとすべての項目において多くの指標種が継続して確認されており、特に植物に関しては希少種であるミミカキグサ(群生を確認)やクロホシクサ(平成19年度ぶりに確認)などの湿性植物が確認されたこと、魚類に関しては稚魚の生育場として分水路が機能していることなどが高く評価されている。また学識経験者のアドバイザーによると、植生の遷移が進んでカヤネズミが確認されるようになったことは自然環境が良好になってきたことの証拠であると指摘されている。筆者らも完成後も度々分水路を訪れているが、変化し続ける自然の様相には驚くばかりである【写真-14】。
おわりに
本稿では、曽木の滝分水路の激特事業時の整備や継続的取り組みについて報告した。この取り組みは、今後もかわまちづくり事業などと連携しながら継続していく予定である。最後に、この取り組みを3つの協働に分けて整理してみたい。
1.市民との協働
市民との協働は、主に「曽木の滝分水路景観検討会」および激特事業完了後のまちづくり活動において行われた。この協働において留意した点は、激特事業という治水整備を日常的な地域の課題や活動と結びつけることであった。そのため、検討会では1/1000の周辺模型などを作成した。その結果として特に重要だったことは、「分水路に常時水が流れていることが、日々の安心感につながる」という意見を引き出し、水田排水を利用したせせらぎ水路を分水路内に実現できたことだと考える。
整備の効果でも示したように、この水路は分水路内の環境再生にも大きな働きをしており、人々にとっての日常的な安心感を醸成するための装置が、生物にとっても豊かな環境を形成したと考えることができる。一方、整備後の活用については、分水路そのものに対して2014年以降はイベント等は開催されていないが、大口高校による曽木の滝もみじ祭りの活性化など地域に大きく広がっていることも治水整備を地域と結びつけて検討した結果だと評価できる。
2.技術者との協働
設計の段階の協働であり、行政およびコンサルタント、デザイナーで行われる。激特事業においては、縦断勾配の設定など分水路の構造そのものに踏み込んで景観デザインを行えたことが重要であったと考える。これは、橋梁等の構造デザインに通じる発想であるが、それが実現できた背景には技術者とデザイナーともに設計案を理解し共有できる断面模型の作成の工夫があったと考える。この断面模型は、デザイナーにとっては設計案を簡易に検討するためのものであったが、水理解析の視点とも合致するものであり検討の場で直ちにかつ共同で課題を解決することにも役立った。
また、激特事業の4年後に行われた呑口部の再整備も激特事業の思想が継承されて行われたことも重要である。この継承に大きく寄与したのが九州地方整備局で実施されている「景観カルテ」の取り組みである。社会基盤は整備で終わるのではなく、その後の維持管理や改修、再整備と終わりない取り組みの連続である。整備当初の思想や工夫を記録する「景観カルテ」は、整備後にこそその真価を発揮するということができるかもしれない。
3.施工者との協働
最後に、施工段階における施工者との協働である。デザインは実空間に実現されてこそ意味がある。そのため、この段階が最も重要であるともいえよう。土木事業では施工時のデザイン監理が一般化しているとはいえない。しかし、地形そのものをつくり直すような土木事業においては、設計時に検討し尽くすことが難しいことが多く、設計者が施工時に関わり続けることは実現される空間の質を高める上で重要である。 分水路整備においては、筆者らのデザインチームは出来るだけ頻繁に現場を訪れること、進捗に合わせた検討を行い検討結果を共有しやすい形(粘土模型など)で提示することを心がけた。その結果、ワイヤーブラシによる岩盤の仕上げなど施工者の工夫を最大限引き出すことができ、類を見ない空間を実現することができたと考える。学識者や市民を交えた検討会や委員会は、年度を超えた活動が可能のため、デザイン監理という点でも有効に機能すると考える。
以上、3つの協働をデザインの役割という観点から考察すると、空間の形状や材質を決定するという狭義のデザイン以上の役割が存在したと考える。それは、コミュニケーションを活性化し、多様な主体の意見や工夫を引き出す役割である。市民との協働では、せせらぎ水路の意義やその後の活動が、技術者との協働では分水路の構造的な条件に遡った検討が、施工者との協働では自然な仕上げを実現するための様々な工夫が引出され、それらが積み重なることで現在の分水路を実現することができた。それらの媒介となっているものは、様々な模型のつくり方などに如実に現れた検討の仕方そのもののデザイン、コミュニケーションのデザインである。
多様な主体との合意形成を長期間にわたって実現していく社会基盤整備において、景観や空間だけではなく、その整備に関わる主体間のコミュニケーションのあり方も同時にデザインしていくことが肝要であると考える。
川内川激甚災害対策特別緊急事業・曽木の滝分水路
─企画立案─島谷幸宏/九州大学大学院工学研究院教授 ─コンセプト形成─小林一郎/熊本大学大学院自然科学研究科教授 ─デザイン監修─星野裕司/熊本大学大学院自然科学研究科准教授─設計─伊東和彦/株式会社東京建設コンサルタント九州支社河川構造部上級技師 ─事業の実施─国土交通省九州地方整備局川内川河川事務所 ─意見の取りまとめ─曽木の滝分水路景観検討会─デザイン支援─熊本大学空間情報デザイン研究室、熊本大学景観デザイン室 (※各人の所属および役職等は当時のもの)
1)国土交通省九州地方整備局川内川河川事務所「川内川激特事業記録誌,2013」
2)大口市郷土史編纂委員会「大口市制五十五年誌,大口市,2008」
3)大口市郷土史編纂委員会「大口市郷土誌 下巻,p. 9-12, 大口市,1990」
4)大口市商工観光課「曽木の滝周辺整備事業基本計画報告書,p.18-45,1994」
5)川内川河川事務所:曽木の滝分水路事業 景観カルテ<施工段階(完成時)>、国土交通省九州地方整備局,2016
6)朝重亜紀子、小林一郎、松尾健二、竹本憲充:3D-CADを用いた分水路設計検討に関する実証的研究「土木情報利用技術論文集,Vol. 17, p.161-170, 土木学会,2008」
7)島谷幸宏、林博徳、小林清文、深見正憲、池松伸也、貴島茂:川内川虎居地区の激特事業における景観デザインの実践「景観・デザイン研究講演集,No.7, p.295-306, 2011」
8)自然風の景観づくりで「創意工夫」満点,日経コンストラクション2011年8月8日号,p.52-55,2011.
9)伊佐市観光ボランティアガイド「伊佐の風」http://isashi-no-shizen.net/isanokaze.html
10)大森真央、永村景子:大規模災害復旧事業を契機としたコミュニティデザインに関する一考察「日本大学生産工学部第51回学術講演会講演概要,p.872-875,2018」
11)鮫島正道、宅間友則、今吉努、徳永修二、下沖洋人、東郷純一、豊國法文,角成生:川内川曾木分水路の自然再生の現状―河道掘削竣工後のエコシステムの回復―,Nature…